古銭/渡来銭/明/洪武通寶(洪武通宝):背「福」 150709

古銭/渡来銭/明/洪武通寶(洪武通宝):背「福」 150709
古銭/渡来銭/明/洪武通寶(洪武通宝):背「福」 150709


●銭径:「洪武」方向23.17ミリ・「通寶」方向23.31ミリ   ●重さ:3.8g   ●ス穴:なし   ※銭径・銭文径については,ノギスによっていますが,素人計測なので誤差がありえます。参考程度にされてください。   ●平安末期(12世紀頃)以降,二毛作による農業生産の増大や手工業(織物,鍛冶等)の発達を背景として商品流通・交通経済が拡大し,銭貨の需要が高まってきた。しかし,これまでの銭貨は粗悪で使用に絶えず,しかも当時は皇朝銭の鋳造が停止されていたため,主に日宋貿易を通じて大量に流入した良質の中国銭(主に宋銭)がわが国の貨幣として使用されるようになった。  平清盛は日宋貿易を推進して宋から大量の宋銭を輸入して国内で流通させその政権基盤のための財政的な裏付けとした。鎌倉時代になると,租税も物納から銭納に切り替わっていった。  北宋銭の鋳造高は桁外れに膨大であり,鋳造量がピークに達した元豊年間(1078~85)には大銭を含めれば毎年60億枚(!)が鋳造されていた。北宋銭は輸出にも当てられ,日本・朝鮮・東南アジア・インド・西アジア・アフリカ東海岸等で北宋銭が出土されている。
南宋時代になると銅銭の鋳造量は大きく減少し,元代になると紙幣が通貨の中心を占めるようになった。  南宋銭の背の数字は,日付である。
 室町時代以後も大量の銅銭(主に洪武通寶をはじめとする明銭)が流入したが,これらの渡来銭だけでは足りず,一方,わが国の政府はこれといった貨幣政策をたてないため,政府の威信はますます弱まり,渡来銭を真似て鋳造した私鋳銭(鐚銭)が横行し,貨幣不足を補う状態が江戸時代初期まで続いた。

 永樂通寶は,明の成祖永楽帝(1360~1424)が発行し,勘合貿易で日本は大量の永樂銭を輸入した。この銭は(洪武通寶とは異なり,)明朝がもっぱら輸出用に鋳造したものと考えられる。製作が良かったため市場での人気は高く,田畑の諸役負担の基準高は「永高」と呼ばれ,永楽銭の姿を紋所にした大名もいたほどである。銭銘については,15世紀はじめに最初の遣明船で渡航した仲方中正という禅僧によって書かれたという説がある。
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