損害保険の歴史


妻子を担保にとられた旅商人
紀元前2000年ころの古代バビロニアでは、遠方の国々との交易で、物資の運搬は旅商人に任せられていました。中には物資を持ち逃げする悪い商人もおり、バビロニア人は持ち逃げを防ぐために、仕事が終わるまで旅商人の妻子をや財産を預かっていました。今でいう担保であり、一種の保険ともいえます。

ギリシャの冒険貸借
紀元前4世紀、ギリシャの地中海商人の間で広く「冒険貸借」が行なわれました。
「冒険貸借」とは、商人が船や積荷を担保にして金融業者から金を借りるというもので、船や積荷が無事帰港すれば、元金に利息をつけて返済しなければならないが、海難などで帰港できなければ、返済しなくてもよいというものです。この「冒険貸借」はその後廃止されますが、これをきっかけに本格的な「海上保険」が北イタリアで誕生することになります。

近代保険の発祥地「ロンドン」
「海上保険」の制度は、イタリアからスペイン、オランダ、フランス、イギリスに伝わり、以後ロンドンを中心に発達します。
17世紀の後半になると、「海上保険」の引き受けも専門化し、それを専業とする保険業者が現れます。当時、海上保険の引き受けをするものは全て個人で、巨額の保険の引き受けは、共同で行なわれていました。
そのころ、ロンドンの港町にあった「ロイズ・コーヒー店」に保険業者たちが集まり、情報交換の場となっていましたが、店主のロイドは船、積荷、潮流、気象など海運貿易全般の情報を載せた「ロイズ・ニュース」を発刊し、そういった客に便宜を図りました。
そのため、ロイドのコーヒー店はますます繁盛して「海上保険」の引き受けの場となっていきます。
ロイドの死後、保険業者たちがこのコーヒー店を譲り受け、会員組織の保険組合を作り、現在の国際的な保険市場と言われる「ロイズ」に発展しました。

陸へ上がった損害保険
陸上でも、火災や盗難などの危険に対し、みんなで力をあわせて助けあう制度が生まれています。イギリスでは、相互組合(ギルド)が組合員の病気や火災などの不幸の際に、組合員の会費からその救済にあてました。ドイツでは、1591年にハンブルクでビール醸造業者が火災組合(ギルド)を始め、組合員の火事による損害を同業者で負担するようにしました。しかし大火の場合、支払い資金に事欠くなど、順調に機能していたとはいえなかったようです。

ロンドン大火
その後、産業革命の並みとともに、欧米で保険事業が発展していきますが、日本での近代的な保険制度は、2001666年9月、ロンドンで市の80%が焼失、数十万人の人が焼け出されるという大火がありました。このとき、医者で建築業者のニコラス・バーボンは、海上保険をヒントに火災保険を考案しました。それは過去の火災発生率と現在の建物数から保険料を設定したり、燃えやすい木造の建物の保険料をレンガ造りの倍にするという、近代的な火災保険の原型となるものでした。
その後、産業革命の並みとともに、欧米で保険事業が発展していきますが、日本での近代的な保険制度は、200年にわたる鎖国が解かれた明治時代になって、ようやく広まっていきます。

福沢諭吉の「西洋旅案内」
日本での近代的な保険制度は、後に慶応大学の創始者となる福沢諭吉が書いた「西洋旅案内」において、海外での商売の一つとして「災難請負のこと・・・インシュアランス」を紹介したことに始まったといわれています。

日本最初の損害保険会社
明治12年、三菱財閥の岩崎弥太郎や第一国立銀行の渋沢栄一らが中心となり、日本最初の海上保険会社「東京海上保険会社」が設立されました。一方、火災保険分野では、東京医学校(後の東大医学部)のパウル・マイエット博士の提言を契機に、明治20年「東京火災保険会社」が設立されることになります。